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Article&Interview

2022/05/23

映像作家・重田佑介の世界 特別インタビューPart1 今回の個展と近年の創作活動について

個展『しかくいけしき』の発表、原宿表参道ビジョンでの作品上映など現在注目のピクセルアーティスト/映像作家の重田佑介氏へのインタビュー。
第1弾は事前に共有したインタビューシートを元に、重田佑介氏の近年の創作活動と、ピクセルアーティストとして・映像作家としての活動の軌跡を振り返る。
重田氏の住む三浦郡 葉山町の海岸で撮影とインタビュー収録を行った。
(文=吉野東人|Haruto Yoshino)

近年の創作活動について

吉野

本日はよろしくお願いいたします。まずは今回の個展『しかくいけしき』が実施された経緯から教えてください。

重田

よろしくお願いいたします。今回の個展の経緯ですが最初に会場となりました愛知県の文化フォーラム春日井を運営する「かすがい市民文化財団」から過去の展示を見て依頼を頂きました。それなりに大きなスペースだったので、過去10年くらいの活動を俯瞰的に紹介する展示にしようと思って、長く制作を続けているピクセルの作品を中心に構成しました。

吉野

『しかくいけしき』というタイトルに込められた想いについて教えてください。

重田

『しかくい』はもちろんピクセルのことですが、『けしき』これまでの作品を並べてみた時に出てきた言葉です。
一般的に今の多くのアニメーションは、キャラクターと物語を大きな柱にして時間を構成していると思います。一方でぼくの作品はどちらにもあまりフォーカスしてなくて、キャラクターや人物は登場しても、どれも群衆的で、風景の一部のような扱いなんです。巨大な風景や世界観だけがあるところに、鑑賞者が自分の時間を持ち込んで物語を投影していくような作品というのが自分の作っているものなので、少し詩的に表現して『しかくいけしき』というタイトルにしました。

吉野

「しかくいけしき」や「がそのもり」など、重田さんの作品タイトルにはあえてひらがなを用いたものが見られますが、ひらがなに対して、何か独自の感覚があるのでしょうか?

重田

ひらがなは文字の形に自由度というか幅があって面白いと思っています。文字のフォントを比べるときも、漢字は似たような形状でも、ひらがなの形状にはかなり違いがあったりして、日本語文字の雰囲気の大部分はひながなが作っていると思っています。「しかくいけしき」はとくにタイトルロゴとしても機能する必要があったので、視覚的に遊びやすいひらがなにしました。

吉野

今回発表された新作のコンセプトや取り入れた表現技法について教えてください。


新作『クルックスの灯り』

重田

新作は影絵を使った作品です。プロジェクターとスクリーンの間にラジオメーターという光で動くガラス製の器具が置かれていて、プロジェクターの光で羽が回転しています。スクリーンにはラジオメーターの影が写っていますが、羽の影の動きと連動してアニメーションの世界が動いています。
アニメーションの作品を「展示」するようになってから、映像の中の世界だけでなく、展示空間そのものに興味を持ち始めて、鑑賞者も含んだ実空間を、作品の一部に取り込むような作品を作りたいと考えていました。
演劇の世界で「第四の壁」という言葉があって、これは舞台と観客席の間にある、決して越えられない概念としての壁のことなんですが、映像の世界の場合はそれがスクリーンなんです。スクリーンを隔てた向こう側とこちら側があって、これらは決して混じり合うことのない異なった世界です。今回はスクリーンに投影される現実の影を世界の仲介役にすることで、映像の向こう側とこちら側が複雑に重なり合う作品を作れないかなと思って制作しました。

吉野

2020年にヒカリエで開催されたシブヤピクセルアートの特別企画展で展示していた作品にフェナキストスコープ(※1)や幻灯機のような(装置としての)原型があったかと思いますが、このタイミングでこのような作品(中身も含む)に昇華された経緯を教えてください。
※1) フェナキストスコープ・・・回転のぞき絵(ゾートロープ)に先駆けて登場した初期のアニメーション機器。

重田

最近はピクセルの作品を多く作っているので、ピクセルアートの作家と認知されていると思いますが、もともとはアニメーションやその原理に興味があって、メディアアートを経由し、ピクセルの表現へ至ったという経緯があります。今でも自分ではドット絵の延長として作品を制作しているというよりは、アニメーション原理の延長として発想し作品を制作しています。メディアアートやピクセルアートという表現領域の中に、もうひとつアニメーションという軸を持ち込むことで自分の立ち位置もはっきりするし、周りの作家との差異や新しい表現が生み出せるのではないかと思っています。
新作は個展の中で10年の活動を象徴的に表す作品にしたかったので、モチーフにはアニメーション史を感じるような要素をいろいろと盛り込んでいます。

吉野

『A Shore』シリーズは、2021年のYUZUTOWN特別企画展でも公開された『境界線』に通じるシリーズですが、重田さんにとって『A Shore』シリーズはどのような位置付けでしょうか?

重田

『A Shore』はコロナ禍で生まれた作品です。自宅で過ごす時間が増えたので、前からピクセルで描いてみたかった家の近くの風景を描いてみました。また自分がピクセルで作品を作る場合、最初から展示状態も含めて考えることが多いので、初めて展示を考えずに、一枚の絵として制作したピクセルの作品とも言えます。
これまで自分が培ってきたピクセルの表現は、実空間で作品に近づいたり、離れたりして見ることを基本に考えてきたものでした。この空間性を一枚の絵の中で表現する為に、複数の解像度(ピクセルサイズ)をひとつの画面に混在させる手法を取り入れました。
手前の景色と奥の景色でピクセルの大きさが違ったり、細かい質感のようなピクセルや、ドット絵的には御法度であるグラデーションやアンチエイリアスといったピクセルを感じない解像度の表現も混在しています。実空間で考えてきた空間性を、デジタル上のスケールである解像度で捉え直してみようという表現上の実験でもありました。

重田さんとピクセルアート

吉野

ここからは”映像作家としての重田さん”の軌跡を伺いたいと思います。
ピクセルアート作品を作り始めたのはいつ頃からですか?

重田

2009年にICCでおこなわれた「キッズ・プログラム2009 Playful Learning」という展示で発表した『Low-Vision』という作品からです。当時の時代性と企画展コンセプトに合わせて考えた作品だったので、こんなに長く作り続けることになるとは思っていませんでしたね。


『Low-Vision』(https://www.ntticc.or.jp/より)

吉野

結果的にキャリアの大半をドット絵と歩んでいると思いますが、そのなかで見えてきた”ドット絵”もしくは”ピクセルアート”の魅力とはなんでしょうか?

重田

よく取材でドット絵の魅力とは?といった主旨の質問を受けるのですが、この質問はなかなか困ります。いくつもの面白い要素があったので結果的に10年以上続けてしまったのだと思っています。
少し変わった視点で自分が重要視している部分を上げるとすれば、拡大して見ても印象が変わらないという点です。アンチエイリアスを使った画像は、拡大して見た時に解像度による劣化を感じてしまいますが、ピクセル単位で構成された画像は、拡大して見ても劣化することがなく完璧な状態を保っています。ドット絵の最も基本的な美しさはこの完全性にあるのではと思っています。自分はこの完全性をプロジェクターを使って空間的に展開しています。スクリーンに対して近づいたり離れたりと、空間的な視聴領域を作れるピクセル表現は展示インスタレーションを作る上でとても強い武器になります。このピクセルの特性を活用しながらアニメーションの空間表現を開拓しているというのが自分の立ち位置だと思っています。

吉野

重田さんにとって”ドット絵”と”ピクセルアート”の定義は異なりますか?

重田

そうですね。ドット絵は80年代からある言葉で、ピクセルアートは近年輸入した言葉だと思っています。そういう意味でドット絵の方が、当時の技術的な制限を重視した傾向にあり、ピクセルアートはスタイル化したような新しい表現まで含まれる射程の広い言葉なのかなと思っています。
ただPixelArtという言葉は英語圏では古くからあるようなので、”PixelArt”と”ドット絵”を並べると、ドット絵は日本の文化背景を持ったPixelArtという言い方もできると思います。

吉野

重田さんの作品やこれまでの言葉を振り返ると、キーワードとして”光“という要素が浮かんできました。
重田さんにとって「ピクセル」と「光」はどのような関係にあり、どのような現象、事象として捉えてアプローチしているのでしょうか?

重田

ピクセルを簡潔に説明すると「デジタルイメージを作るための最小のエレメント」ということができると思いますが、別の観点からみると「光学的に整えられた四角い光」ともいえます。
前者の方向に発展させると映像となり、スクリーンの向こう側の世界に属します。一方で後者は映像装置が引き起こす物理現象なので、スクリーンのこちら側、つまり現実空間に属した捉え方です。コンピューター用語でデジタルとアナログを繋ぐ存在をインターフェイス(接点、境界面)と呼びますが、ピクセルはまさに2つの境界が切迫した接点なのだと思っています。私たち自身は身体を持ったアナログな存在なので、ドット絵のようなデジタルに触れることそのものに、大きなジャンプがあります。ドット絵で「ピクセル=最小エレメント」を扱いながら、同時に「ピクセル=光」の側面に注目することで、デジタルとアナログ(あるいはイメージと実空間)の関係性も取り入れた表現を作りたいと思っています。

吉野

重田さんの作品は、その”光”が身体に染み込んでくるような印象を受けますが、それは何か意図されていることがあるのでしょうか?

重田

そうですね、あまり考えたことがないですが、、それは自分が映像表現をベースにしている作家だからかもしれません。絵画と映像では視聴体験にさまざまな違いがありますが、ひとつ大きな違いとして、もともと絵画を見る空間は明るく、映像を見る空間は暗いということがあると思います。現在は明るい場所で映像を見る機会も多いですが、もともと暗い空間で見ることの多かった映像は、フレームの外側が完全に消失し画面の中に没入するような視聴体験がベースになっています。自分の作品は、鑑賞者がスクリーンの中に没入するのではなく、空間の中に映像を引き出そうと意識しているのですが、体験として感じるのは「映像空間に没入する」という感覚なのかもしれません。

吉野

これからも作品をピクセルで表現されていくのでしょうか?

重田

どうでしょうか。新作はだいぶピクセルでない要素も増えてきました。一部でしか使っていなかったり、そもそもピクセルである必要がないのでは、という見方もできます。自分がインスタレーションとしてピクセル表現を使っているのは、近づいたり離れたりして見ることができるという点にメリットを見出しているからだと説明することはできます。だとすればプロジェクターをたくさん使ったり、超高解像度のプロジェクターができれば、近づいて見ても遠くから見ても高い解像度で成立する状態は技術的には可能なのですが、それを作りたいかと想像すると全然作りたくはなくて。
例えば『がそのもり』が『16Kがそのもり』みたいな形で、見たら3DCGで細かく動いているとなったら、すごく興醒めしそうというか、表現として身も蓋もないみたいな気がしそうです。なぜそう感じてしまうのか、一言でいえば「ドット絵は抽象化されているから」と言えますが、どうもそれだけでは言葉足らずな気がしていて、、ひとまずその答えはもう少し探していくんだろうと思います。

重田佑介さんの作品 『gm new world』は現在NFTプラットフォーム the PIXELにて販売中。
YUZUTOWN Special Exhibitionで発表され、現在発表中の『A shore』シリーズのプロトタイプとなった作品。

サイトはこちら:thepixel-nft.io


『gm new world』

  • 作家:重田佑介

    映像作家 驚き盤やゾートロープなど装置や原理を含めた広義なアニメーションへの興味からメディアアート領域で活動。 フィルムの登場によって、原始アニメーションの持っていた装置(メディア)と映像(コンテンツ)の2面性が切り離されたと考え、古典アニメーション的な立場から、映像とその外側にある装置や空間を横断的に体験するアニメーション作品を制作。

  • インタビュアー:吉野東人

    音楽家/ライター 東京都出身。エレクトリックギターによる多重演奏を主体としたオーケストレーション制作をライフワークとする傍ら、フラメンコ舞踊、アートワーク、文藝誌への寄稿を行うなど、活動は多岐に渡る。 photography by norihisa kimura(photographer)

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