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Article&Interview

2022/05/29

映像作家・重田佑介の世界 特別インタビュー Part2 “映像作家”としての軌跡


個展『しかくいけしき』の発表、原宿表参道ビジョンでの作品上映など現在注目のピクセルアーティスト/映像作家の重田佑介氏へのインタビュー。

第2回となる今回は、会話を重ねる中で浮かび上がってきた重田佑介氏の作家性のルーツ、憧れについて掘り下げる。
事前インタビューに基づいて収録された第1回とは打って変わって、雑談を主体とした和やかな雰囲気での取材となった。

(文=吉野東人|Haruto Yoshino)

吉野

ここからは重田さんに影響を与えた作家、作品について教えてください。
作品へのアプローチとして、”古典アニメーションへの回帰”という手法をとっている作品も数多くありますが、重田さんにとって究極・至高のアニメーション作品というのは何でしょうか?

重田

いろいろな作家や作品から影響を受けているので、突出してひとつあげるのは難しいですが、古典アニメーションという観点では、メディアアーティストの岩井俊雄さんが1985年に作った『時間層Ⅱ』というゾートロープを発展させた作品があります。
ストロボのような明滅する光と回転する盤面で立体的なアニメーションを見せる作品で、現在は同様の手法の装置がジブリ美術館でも見られますが、当時は手法そのものも珍しかったと思います。アニメーションのモチーフも装置を模したものだったり、メタな仕組みも含めて表現としている点に驚きました。その後にメディアアートに興味を持つきっかけになった作品です。

吉野

ピクセルが「表現の可能性を秘めているようにいつも感じる」と答えたインタビューがありましたが、自分以外のクリエイター(アート文脈に限らず)で、「やられた!」「そんな表現があったか!」というような出来事はありますか?

重田

かなり古い作品なのですが、ミシェル・ゴンドリーという映像作家のMVはどれもやられた感がありました。ぼくは大学生時代に見ていたんですが特に『Star Guitar』が好きで今でも年に何度か見ています。


『Star Guitar』 The Chemical Brothers

吉野

ケミカル・ブラザーズの楽曲ですね。あれも素晴らしい映像作品です。

重田

ミシェル・ゴンドリーにはすごく憧れました。この作品は実写なんですが、ずっと見てると端のほうで映像がシュッと消えるのを発見して、これぜんぶ手動で1コマずつ消してるんですよね。とても信じられない労力なんですが。

吉野

風景をコマ送りで書いている、みたいな?

重田

そんな感じです。

吉野

そんなこととは露知らず、当時はただぼーっと見ていました(笑)

重田

いまだったらCGでできてしまうのでしょうが、当時はまだそういう時代ではなかったですね。

吉野

ロストテクノロジーかも知れないですね。

重田

はい。でもやはり実写だから良いのかもしれなくて、アイデアとしては音楽に合わせて風景が流れてくるというシンプルなものなんですが、なぜか凄いエモいというか。景色だけなんだけどなんか泣けてしまうんですよね。これはCGにしてしまうと感じられないものかもしれません。
当時のMV界には他にもスパイク・ジョーンズやクリス・カニンガムといったスター作家がたくさんいて、コーネリアスのMVなどを手掛けている辻川幸一郎さんも大好きでよく見ていました。彼らは”映像作家”という枠組みで紹介されることが多かったんですが、その中にはビデオアーティストやアニメーション作家、CGクリエーターも含まれることもあって、多様な映像表現が含まれているイメージがありました。この雑多な雰囲気が好きで自分も”映像作家”という肩書きを今でもよく使っています。

吉野

あえて最大公約数的な肩書きにしているということですね。

重田

そうですね。なんだか肩書きは自分を縛ってしまいそうな気がするので、一番曖昧なものを選んでいます。

吉野

古典アニメーションに興味を持ったきっかけについて教えてください。

重田

アニメーションの作品って、PCでもスマホでも今はどこにいても見れるじゃないですか。アニメーション作品を展示するようになって、会場にわざわざ来て見る以上、場所性や空間性は考える必要があるなと思っていました。
それで「がそのもり」という作品を作って展示した時に、みんなが本を持ってウロウロしているという光景が生まれて。この頃はアニメーションの中身をどう見せるかということばかり考えていたんですが、展示した後で鑑賞者も含めた空間がなんだか印象的で、、なんだろう、これは美しいのではと思ったんですね。

『がそのもり』(2012)

制作のルーツ

吉野

古典アニメーションという部分でいうと、ファンタスマゴリー(※3)などでしょうか。フェナキストスコープをはじめ、古典に対する憧れというのはいつからあったのですか?
※3) ファンタスマゴリー・・・18世紀末にフランスで発明された幻灯機を用いた幽霊ショー

重田

そうですそうです。でも憧れというよりは参照事例みたいな、少し冷めた視点かもしれません。
『がそのもり』の頃は映像のことばかり考えて制作したんですが、実際に出来上がっていたのは”場”だったのではないかと、後ほど考えるようになりました。映像を見るための”場”というのは、つまりシアターのことです。今のようなシアターができるのはフィルム以降なんですが、もっと遡れば似たような別の事例があるんじゃないかなと思って、シアターの再発見のために古典アニメーションに行き着きました。

吉野

原始的なアニメーションに憧れを持つということではなく、自分が仕掛けた作品を俯瞰で見たときに「場である」と気づいたということでしょうか。

重田

そうですね。それとちょうどその頃、メディアアート界で話題となるある本が出版されました。エルキ・フータモという人が書いた『メディア考古学』という本です。これはまさに「映画以前」の映像から現在のメディアや映像文化を読み解くというものでした。


『メディア考古学:過去・現在・未来の対話のために』
エルキ・フータモ (著), 太田 純貴 (翻訳)

吉野

『がそのもり』より3年後に出た本ですね。

重田

はい。その本の影響も大きくて、遠い過去にあるものを現代的に再解釈するような考え方はここから学びました。ものを作るときにはなにか類似する表現の事例を調べてみると思うんですけど、同時代のものを参照してしまうと他の人との差異が出しにくいです。誰も接続しないような遠い領域の考え方を繋げていくことで、新しい視点や表現を獲得できるのではと思っています。

吉野

感覚的というよりはロジックを先に組み立てて制作するということが多いのでしょうか。

重田

自分としてはどちらも重要で両輪だと思ってます。感覚は近くを見るもので、ロジックは遠くを見るためのもの。コンパスと地図みたいなイメージで両方ないと迷子になるみたいな。

吉野

重田さんの言葉に対しての厳密さのバックグラウンドについてお聞かせください。

重田

「なるべく正しく伝えたい」という気持ちは大きいです。言葉って互換性が高いようで、意外と経験に紐ついているのでひとりひとりに微妙に齟齬があります。同じことを言っていても、言葉が積み重なっていくと全然違うところに行ってしまう。デザインなんかの仕事をしていると、とくにそういうことを感じるのですが、クライアントと話したり、自分がディレクションしたときに、話していたものと全然違うものが出てきてしまうことってあると思うんです。こういうことはあまり起こりたくないので、なるべく丁寧に齟齬が生まれないように説明するように心がけていて、それが普通の生活にも出てきているのかもしれません。

吉野

仕事や経験で培われた人格や技術、といったものでしょうか。

重田

そうですね。あとは大学院の修士論文を書いてから言語化のコツを少し掴んだ気がします。作品とは別に2万字くらいの論文を書かせられて、本当に凄い苦痛だったんですが、結果的には得るものは大きかったです。
ちなみに、修士制作の企画はもともとピクセルの作品とロトスコープ(※4)の作品の2つの企画案を提出していたんですが、ピクセルは教授陣の評価がめちゃくちゃ低くて!ロトスコープで作りました(笑)
※4) ロトスコープ・・・実写をトレースしてアニメーションを作る技法


ロトスコープで制作した『お話の力学』(2008)

自分の感性を信じない

吉野

少し脱線しますが、重田さんの好きな映画は何でしょうか?

重田

『ウェイキング・ライフ』という2002年の映画が好きで、これは30回ぐらい観ています。良い映画って年齢によっても、聞く相手によっても変わると思うんですが。
音楽もそうで、ぼくらはタワレコで試聴とかしたじゃないですか。

吉野

はい、そうです(笑)

重田

試聴してカッコいい音楽がわかる人とわからない人がいると思うんですが、ぼくはわからないんですよ(笑)「これカッコいい」と思って買って、帰りにCDウォークマンで聴きながら歩いていると「あれ? ダサいな?」ということがよくあって。結局その場の空気に飲まれすぎていただけなんだ、と。なので、ぼくはあまり自分の感性みたいなものを信じていないんです。なにを信じているかというと「長く残ったもの」ですね。
「時間」なんですね。そういうわけでウェイキング・ライフは何度も観れたから「良い」な、と。

吉野

その瞬間の自分の感性を信じるんじゃなくて、自分の生きてきた時間のなかで風化に耐えて長く残ったものを信じている、ということですね。

重田

そうです。作品もそうで、わりと保留にすることが多いです。友だちの作品を見て、その時わからなくても、その後何度か行くうちにその人の視点が見えてきたりして、「ああ、そういうことをやっていたのか」とあとからわかることはあります。最初の判断で「わからない」といってしまうとそこで終わってしまうので、評価は長い時間のなかで作るというのが自分のなかであります。ウェイキング・ライフは最初試写で観たんですが、4回目ぐらいまで途中で寝ちゃってるんですよね。

吉野

それでも寝ちゃうからつまらない作品なんだとならずに。

重田

なんかもう一度ちゃんと観たいな、と。

吉野

わかる気がします。昔、タルコフスキーを観たときにも何度か寝ましたから。

重田

(笑)ウェイキング・ライフはロトスコープで作ったアニメーションの作品なのですが、シーンごとにアニメーターが違うんです。
しかもあまりすり合わせをしていないようで主人公の顔がどんどん変わっていっちゃうんです(笑)だから「これ、誰なの?」みたいになって、それこそ作画崩壊どころじゃなくて。

吉野

(笑い)
映画だったり人の作品を何度か見ていて、いいなと思う起点があるのでしょうか? その人がどういう思いで作ったかということがわかると得心がいくという感じなのでしょうか?

重田

友人の作品と映画では少し違うかもしれませんね。何度も見てしまうものと、そうでないものの線引きはあんまり深く考えられていませんが、いつ出会うかとかタイミングは大事な要素かもしれません。あと結果として自分がわからないと感じたものがわかるようになることは、大事なことだと思っています。ちょっと大袈裟ですが、わかる世界を広げるために生きていると言えなくもないかもしれません。

吉野

「知らない」「わからない」ということをすごくポジティブに捉えられていて、自分もそうありたいと強く思いました。

重田

常にできるわけではないんですけれど、そうありたいですよね。

重田佑介さんの作品 『gm new world』は現在NFTプラットフォーム the PIXELにて販売中。
YUZUTOWN Special Exhibitionで発表され、現在発表中の『A shore』シリーズのプロトタイプとなった作品。

サイトはこちら:thepixel-nft.io


『gm new world』

  • 作家:重田佑介

    映像作家 驚き盤やゾートロープなど装置や原理を含めた広義なアニメーションへの興味からメディアアート領域で活動。 フィルムの登場によって、原始アニメーションの持っていた装置(メディア)と映像(コンテンツ)の2面性が切り離されたと考え、古典アニメーション的な立場から、映像とその外側にある装置や空間を横断的に体験するアニメーション作品を制作。

  • インタビュアー:吉野東人

    音楽家/ライター 東京都出身。エレクトリックギターによる多重演奏を主体としたオーケストレーション制作をライフワークとする傍ら、フラメンコ舞踊、アートワーク、文藝誌への寄稿を行うなど、活動は多岐に渡る。 photography by norihisa kimura(photographer)

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