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2022/06/03

映像作家・重田佑介の世界 特別インタビュー Part3 教育への思い


個展『しかくいけしき』の発表、原宿表参道ビジョンでの作品上映など現在注目のピクセルアーティスト/映像作家の重田佑介氏へのインタビュー。

最終回となる第3回では、
重田氏の価値観が形成されたプロセスや、現在も継続的に行なっている子供向けのワークショップへの取り組みや教育への想いなどについて掘り下げる。
(文=吉野東人|Haruto Yoshino)

価値観や考え方について

吉野

重田さんの価値観を形成するに至った原体験のようなものや、幼少期や思春期に人格形成に影響を与えた出来事はありますか?

重田

家にダイヤブロックがあってよく遊んでいました。たしかに現在ピクセルの作品を制作していることと、子供のころの経験や記憶はつながっているのかもしれません。
ただ別の作品を作っている時に、ずっと忘れていた小さな記憶をふと掘り出すといった経験もあって、そうしたすぐには思い出せない無数の中のひとつという気もします。記憶や歴史は現在から都合の良いものだけを呼び出しているような気もして、結構疑わしいものだなと思ったりもします。

吉野

普通、人はそうした記憶を強固にしたがる中でその視点は斬新かつ、重要ですね。
そういう感覚だからこそ、いまの重田さんの作品があるんだろうなと思います。
全部同じ程度で知覚していたらそれこそカオスですが、いかに自分が勝手に出来事をピックアップしているかがわかりますよね。記憶っていい加減なもので、じつは自分を構成している核は無数の枝葉の部分だったりすることもあるのかもしれません。

重田

そうですね。最近ぼくは人格って総体なんだと思っています。人の性格を”キャラ”と言ったりしますが、一貫性のあるキャラクターのような人は存在しなくて、色々な経験や記憶が組み合わさって、自分でもうまく説明できない矛盾を抱えた総体のような状態なんだと思います。本来キャラクターは物語を駆動させるうえでわかりやすく抽出した役者のことだと思うのですが、それを最近は逆輸入して、人間にもう一回当てはめて「われわれはこういうキャラである」という風に考えているように思います。

吉野

自己規定することによって、そこで自分のさまざまな可能性も閉ざされてしまう気がしますね。

重田

そうですね。

吉野

人間を単純化する本来不自然な方法だったはずの”キャラという概念”に人間が引っ張られすぎている感じなのかもしれません。「そうなりがち」というのは本能的にそっちに引っ張られたほうが楽、というのもあるのでしょうか。

重田

たしかに、それはあると思います。ずっとこの『反キャラ主義』みたいなものを漠然と持っていたんですが、このあいだ新聞か何かで、学校のクラスで上手くいかないことがあったときに先生が「そういうキャラだと思えばいいんだよ」とアドバイスをしてその子がすごく救われたということを書いたコラムがあって。そうか「自分を守るためにキャラを使う」ということを知って。確かにそういう考え方もあるか、と。

吉野

たしかにキャラに甘えない生き方は勇気が要ることというか、ある意味精神的なマチズモというか、ニーチェ的でもありますよね。
自分のナルシシズムも含め、全面的に受け入れるような。

重田

マチズモ(笑)たしかに。

子どもたちへのワークショップについて

吉野

重田さんの作品は、小学生など年齢を問わず夢中になれる作品が多くありますが、そのような意識はどこから芽生えてきたのでしょうか?

重田

もともと2009年に初めて作った『Low-Vision』という作品が、親子に向けた企画展で展示する作品でした。表現の手法を探していく中で、ドット絵に出会うわけですが、結果的に親しみやすさがあって、その後も親子に向けた展示会から声がかかる機会が増えて今に至るという感じです。

吉野

flipbit(ドット絵が描けるブラウザアプリ)を開発した経緯を教えてください

重田

ICCで展示した時に、ワークショップも合わせて依頼されました。ワークショップは長くても2時間くらいですから、機能が多いと覚えるだけで時間が過ぎてしまうんです。だから機能はむしろ不便なくらい限定的にして、時間内に使い倒せるツールを目指して友人と制作しました。


だれでもドット絵が描けるブラウザアプリ 『flipbit』

吉野

どういった思いでワークショップに取り組まれているのでしょうか?

重田

最近は時々展示に合わせておこなっているぐらいですが、2010〜15年くらいは結構やっていました。というのも2009年に『Low-Vision』を発表したグループ展を監修していたのが同志社大学の上田信行さんという教育学の先生で、その後いろいろとワークショップのお手伝いをしている時期がありました。
上田先生は教育学の世界ではカリスマ的な先生なんですが、毎回ワークショップ中に事件を起こすというか、突然やってる最中に閃いて「これできないの?」「あれ持ってきて!」という感じで(笑)予定調和で終わらせてくれない。どんどんアクシデントを呼び込んでいく人なんです。
そうするとどうなるかというと、観客も積極的に参加せざるを得なくなる。「あ、わたし持ってます」みたいな(笑)
最初は「何というグダグダ進行!」と思っていたんですが、時間が経つにつれて”教える/教えられる” がおんなじ土俵になる、ということが重要なんだと気がつき始めました。
上田先生はよくワークショップ中に突然歌いだしたりするんですがワークショップそのものがライブ的というか、参加者が受け身にならないように牽引するファシリテーターなんですね。学びは与えられるものではなくて、自分で発見するものだということを学びました。

この頃に知ったのですが、イタリアの”レッジョ・エミリア”という町はご存知ですか?

吉野

はじめて聞きました。

重田

このレッジョ・エミリアはイタリアにあるんですが、第二次世界大戦の敗戦後、幼児教育で復興させたという教育界では有名な街なんです。どういう教育かというと、創作活動が中心になっていて「アトリエリスタ」という美術専門の教師が子供たちの創造性を引き出していくんです。そうするとめちゃくちゃ面白いものができるんです。しかもそれをしっかりドキュメンテーションして展覧会をおこなうという。
すると世界中の教育者たちが「これはなんというヤバい教育だ」と集まってきて、、人が集まれば経済も回るという仕組みのようです。ただ、そこで育った人たちがその後どうなったかというのは実はそれほどフォーカスされていないんですね。教育はどうなったら成功か、という指標を出すのがとても難しいのです。特にここでおこなわれている教育は、どう考えても収入などで測れるようなものではないですよね。ここでの教育は社会における達成とか成果というものから離れたところにあるのかもしれません。

吉野

どの時点で成果とするか、という指標がない。定量的に観測もできないですし。

重田

そうですね。タイミングもそうですし、量もわからない。

吉野

その人の内面や真の豊かさはわからないですよね。

重田

はい。レッジョに関してはぼく視点で噛み砕いて語っているので誤っている部分もあるかもしれないのですが、そういう変わった街があるということは驚きでした。
日本でも教育番組や絵本という幼児教育に関わる領域には、独自の表現系があるように思います。何かしらの目的や成果へ還元されずに済むって、表現の世界でもかなり特殊で貴重な領域なんじゃないかと思ったりもします。

吉野

今回も小中学生向けにワークショップをやったりしていますが、子供たちに一番伝えたいことは何ですか?

重田

よくやるのはピクセルアニメーションのワークショップで、大きな軸としては、アニメーションは動きの観察と再構築、作るということは手先の技術だけでなく、目の能力も大事だよといった話はします。ただ一番伝えたいかというと、別にそうでもなくて。プログラムを進める上での骨格にはしていますが、上田先生の話ではないですが、やはりワークショップは一方的に何かを伝える場というよりは、講師を含めた参加者がお互いに何かを発見できるというのが理想な気がします。

吉野

ドット絵に触れた子供たちの反応はどうでしたか?

重田

凄く楽しんで家に帰ってからも描き続ける子もいますし、ドットに苦行を感じてしまう子もいますね(笑)
小学校でワークショップをした時の話なのですが、図工が上手い子はピクセルの並べ方ですぐにわかります。逆に一枚絵で見ると明らかに図工は苦手そうな子が、動いた時に面白いということもあって、そういう出会いというか発見に立ち会えると嬉しいですね。

これからの展望

吉野

重田さんはご自身がどう在りたいか、というヴィジョンはありますか?

重田

昔からほとんどそういう理想のようなものがなくて、作家になる方ってすごく好きなアーティストや憧れがあったりすることが多いと思うのですが、あまり誰か一人挙げるというのもなくて。ぼく自身は歳によって好きなものがわりとコロコロよく変わるので、そこに危うさを感じて古典アニメーションという長い補助線のようなものを引いておいて、迷子にならないようにしているという部分があります。

吉野

ドット絵には将来的にどのような役割を果たして欲しいですか?

重田

僕らの世代は子供の頃に遊んだファミコンの存在が大きくて、作り手も受け手もリバイバルやノスタルジーという言葉が拭いきれない部分があったと思います。ところが、この数年でもっとずっと若い世代も制作するような状態になって、より普遍的で広がりのある自由な表現形態になってきているように感じます。またSNSを通じて国内外の繋がりが出てきていることも好ましいと思っています。これはドット絵に限った話ではないですが、表現活動は人々を分断するためにあるのではなく、いろいろな人やさまざまな世界が出会ったり、繋がるためにあって欲しいと思います。

重田佑介さんの作品 『gm new world』は現在NFTプラットフォーム the PIXELにて販売中。
YUZUTOWN Special Exhibitionで発表され、現在発表中の『A shore』シリーズのプロトタイプとなった作品。

サイトはこちら:thepixel-nft.io


『gm new world』

  • 作家:重田佑介

    映像作家 驚き盤やゾートロープなど装置や原理を含めた広義なアニメーションへの興味からメディアアート領域で活動。 フィルムの登場によって、原始アニメーションの持っていた装置(メディア)と映像(コンテンツ)の2面性が切り離されたと考え、古典アニメーション的な立場から、映像とその外側にある装置や空間を横断的に体験するアニメーション作品を制作。

  • インタビュアー:吉野東人

    音楽家/ライター 東京都出身。エレクトリックギターによる多重演奏を主体としたオーケストレーション制作をライフワークとする傍ら、フラメンコ舞踊、アートワーク、文藝誌への寄稿を行うなど、活動は多岐に渡る。 photography by norihisa kimura(photographer)

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